π円

ギフテッド2E〈当事者〉のコミュニティ

あなたのアイデアや視点を、
誰よりも解像度高く面白がれます。
そして、一緒にもっと面白いことをしませんか。

  • ×ギフテッド2Eの支援や、社会理解の普及を目的とはしていません。
  • ○2E本人同士で集まり、これから何を作るかを話すコミュニティです。

価値観・感覚

面白さを至上とします。

クリエイティブに面白いことを志向するコミュニティです。

※知能の高さを競ったり披露したりする場ではありません。

会費、運営費などはありません。メンバーの知的面白さが最大の共有資産だと考えています。

強いて目的を言えば、2Eが抱える孤独の解消と、能力の最大化です。

活動内容や作品は、「現在公開中の活動・出展」を参考にしてください。

なぜ社会に理解を求めないのか、長い話は「こう思う」に書いています。

入会

入会条件

  • ギフテッド2E本人であること。※保護者などは入会できません。
  • 18歳以上(成人)であること。

知りたいこと

  • 面白さ
  • クリエイティビティ

※IQや作品の量ではなく、アイデアであなたの知性を感じたいです。WAIS等の送付は任意(証明ではなく、特性理解の参考)。

※π円が合うかどうか、先に知りたい人は 「あなたに合うギフテッド・2Eコミュニティ診断」 をどうぞ。国内16・海外8の場所から、傾向の合計で候補が出ます。π円に着く人は少数です。

流れ

  1. フォームで、あなたについて教えてください。
    個人情報を明かしたくなければ、あなたの考え、面白い知識、視点、アイデア、ストーリー、作品——なんでもOKです。
  2. オンラインでカジュアル面談(音声のみ可)。
    面談を通して、あなたについて知れたら、と思います。その後、続きを話しましょう。
  3. 合えば、参加。
    本名は不要です。好きな名前で参加できます(本名で仲良くなりたい人は、それでも)。

応募フォームはファイル添付に対応しているため、Googleへのログインが必要です。提出時にあなたのGoogleアカウント名が運営に見えますが、コミュニティ内では好きな名前で構いません。
集めた連絡先・ファイルは、本コミュニティの連絡と、面談の参考以外には使いません。

応募フォームへ GOOGLE フォーム

この画像について(具体的な解説)

天守閣をモチーフとした垂直農場。

地下プールに水を貯めると、水荷重がワイヤーを引っ張り、引っ張られたワイヤーが引き絞られることによって、破風のローラー支点を動かす。結果として各階の階高を変化させることができる、という動く建築。

私たちの、面白いアウトプットへの情熱や雰囲気を視覚的に伝えられたらと思い、HPに載せました。

画像はタップで拡大できます。

現在公開中の活動・出展

π円では、作った制作物のうち、内部で楽しむだけのものもあれば、外部に発信したり、出展したりすることもできます(出展への選考やコンペティションの過程も楽しいです)。

またその際、プロダクトをただ公開するのではなく、面白がってくれそうな場所に発信、出展しようと考えています。評価される場所、環境を選んでいくのは大切だと考えているからです。そしてそれは、国内だけでなく海外、リアルだけでなくVRまで、広い視野をもって可能性を広げたいと考えています。

Sapio Tree(Maker Faire Rome 出展)

複数のAIとのチャットを、仲間や世界とリアルタイムで共有して、分岐できるツール。

π円内で、アイデアの壁打ちやブレインストーミングに使っているツールです。複数モデルのAIと複数のユーザーが、同じ文脈を共有しながらリアルタイムにAIチャットを進め、さまざまな思考フローの分岐が樹形図として可視化されます。樹形図の上に形成された思考フローの中から、コミュニティの中でどの枝が最も評価されたのかを観測できます。2026年10月、Maker Faire Rome に出展しました。

状態:公開中 / 出したところ:Maker Faire Rome 2026(ローマ)

マヤ文字をモチーフにした、アニメーション文字

マヤ文字は、表意文字と表音文字の両方の特徴を持っており、ブロックと呼ばれるパターンの組み合わせによって成立します。マヤ文字をモチーフに、各ブロックにフルカラーのアニメーションを持たせて、新しい美的な視覚情報を持つ表現を志向しています。

状態:制作中

その他、漫画制作、拡張機能開発、アプリ制作、描画表現など多数。最近なら、ギフテッドコミュニティ診断の機能なども、一種の作品だと考えています。

こう思う

考えていることを、思いついたときに書き足します。日付はつけません。見出しを押すと開きます。

ところでアホになれる?

みんな、上に行くこと、上達することは、当たり前のように意識してますよね。じゃあ逆に。愚かになれますか?

例えば、知ってしまったことを、知らないように振る舞えますか?

できなくないですか?

みんな愚かな人を馬鹿にしているけれど、愚かでい続けるって、めちゃくちゃ難しくないですか? 知ってしまったら、その視点ややり方が自然と無意識下に刷り込まれて、純粋で素朴な視点に戻るのは難しい。

例えば会社では、昇進はあるのに降格ってほとんどないですよね。下に降りるって選択肢をそもそも誰も持ってない。しかも、下にいることや愚かであることをダメなことだと思ってる。

でも私は、愚かさが大好きなんです。

社会通念や、物のやり方を知らない、というのは、斬新な視点をもたらすからです。

皆さんは、ケーキを三等分してって言われたら、どう切ります?

たぶん、メルセデスのマークですよね。真ん中から、Yの字に。私もそうです。

幼いいとこと、親戚で集まって、ケーキを食べたときの話です。テーブルにミルクレープがあって、いとこに分けてもらったんです。三等分して、って。

そしたら、上から層を数え始めたんですよ。切るんじゃなくて、層で分けようとした。上から順番に剥がして、三人に配ろうとした。

結局、割り切れなくて、余った分は自分のにしてました。本人は至って真面目です。

それを見てた祖母が、

「三等分はまだ難しいよねぇ。こうやってやるのよ」

って、隣にあった丸いケーキを、メルセデス切りで三等分したんです。

そしたら、いとこが自分の皿を見て、

「は?なんか僕の、少なくないすか?」

みたいな、めちゃくちゃ不満そうな顔で、

「これ、ほんとにちゃんと三等分?」

と聞いてきた。

大人は誰も、それを疑ってなかった。でも、何も知らない、しかもちょっとガメツい子どもからすると、メルセデス切りって、怪しい目分量切りなんですよ。納得できない。

まあ、自分がいっぱい欲しいだけなんでしょうけど(笑)

ただ、あの場でメルセデス切りを疑った人間は、子供だけだった。大人は誰も、それが本当に三等分かどうか、確かめてもいない。私も含めて。

ミルクレープに関しては、

「ケーキじゃなくてミルクレープだから成り立つ話でしょ」

って、思いますよね。そうなんです。ミルクレープだから成り立つ。つまり分け方は、物のほうが決めてる。

丸いケーキの分け方を、思考停止でミルクレープにそのまま持ち込んでたのは、大人のほうだった。物を見ずに、習慣で捉えて、縦に切る以外の発想がそもそもなかった。それが、知ってしまった、ということだと思っています。

こういうのを、第一原理思考とか言ったりしますけど、名前はここでは一旦置いといて。一言で言えば、物を見る。前提を疑う。それだけの話です。

ただ、いとこのこれは、年齢相応に知らないだけです。成長とともになくなる、一時的なもの。あの子も数年で、メルセデス切りを覚えて、疑わなくなる。

ところが、ごく稀に、これを大人になっても持っている人がいるんです。愚かさ、と言っていいのかわかりませんが(社会的にはそうラベリングされてるだけ)。

このタイプの成体、本物の愚かな人って、みんなが守ってる暗黙のルールを一撃で壊すんですよ。これを見てるのが最高に面白い。

例えば、ある人が高級レストランに行ったとき、ナイフとフォークではすくいづらい一品が出た。周囲の人々も同じコースで同じ皿に苦戦している中、彼は素手で手掴みして食べてみせた。

本人は至って真面目、周囲はドン引き。

でも、これが最高に面白い。周囲が気取っておめかしして、格調高い雰囲気の中でナイフとフォークを使ってせっせと苦戦している中、彼は素手でいとも簡単に食べ、その雰囲気を粉砕し、すごく美味しそうにしている。

そして確かに、言われてみればこの料理の最適解は素手だな、と、なぜかこちらも納得してしまう。

私は知っていたんだ。この料理の食べ方を。でも知らなかった。最適解を。

後で調べてみたら、元々素手で食べる料理だったと知って、面白いなと(笑)

こういう素朴で純粋で、成長の過程で忘れてしまったような、でもクリティカルな視点を、愚かさはたまにもたらしてくれます。愚かでい続けるって、社会に馴染んで普通に生きてたらできない。

これは本当に才能だと思います。だから好きです。

もう、私たちだけで面白いことしませんか?

そもそも、なぜ社会に理解されないといけないのか?

ギフテッドや2Eって、認知されるようになったのは比較的最近で、主として子どもに対する目線で使われていますよね。

子どものうちは保護者など周囲が理解してあげられますが、大人になって自立するタイミングが来ると、大きな困難になります。紙の上で大人になったからといって、生まれ持った特性が根本から再構成されるわけではないのに、大人を対象とした活動はほぼないと言っても過言ではありません。

ただ、私たちは大人になっても子ども時代のような支援や理解を求め続ける、というスタンスではありません。自分たちで楽しめる居場所を作り出し、社会の中でサバイブする実行力を志向する。そういうスタンスです。

それに何より、2Eへの理解を社会に求めていくこと自体が、実は2E本人には苦痛だったりします。理解してほしい気持ちはありつつ、あまりにもマイノリティなので、自分たちのために社会に視点を押し付けるのも違う。もっと言えば、少し理解を進めるためにも膨大な労力と時間が失われるだろう、ということが感覚的にわかるので、当人としては気が進まない。そういう感覚があるんだと思います。この感覚は、社会との折り合いを見つけようと頑張っている当事者ほど、強く認識させられます。

ここで、冒頭の問いに戻ります。

そもそも、なぜ社会に理解されないといけないのか?

社会は2Eに対して、コンテンツとしてはすこーしだけ興味がありますが、現実問題ぶっちゃけ興味がない。つまり、わかろうと思うことすら少ないと思います。インセンティブが少なすぎるので、これは普通のことです。

そしてその状態で、

「社会のほんの少しの人たちの、あなたには絶対に理解されないかもしれない苦悩をわかってください!」

と説明しても、

「正直、鬱陶しいだけだろうな(笑)」

と、私たちは率直に感じています。相手に真に理解してほしいとき、何かを押し付ける(つもりはないんだけど、冗長になって、一方通行でボールを投げ続ける形に陥りやすいと思う)のは、あまり美しくない。求めるべきは社会ではなく、我々そのものの在り方なんじゃないか?と感じています。

実際問題、ギフテッドや2Eの説明に多用されるIQの値についても、私たちは疑問を持っています。

まず、IQという借り物を使わないと説明できない時点で、社会に対して親和性が低い。さらに言えば、IQが高いこと自体に、真の意味での価値を見出していません。

身長にはcmという絶対の目盛りがあって、パーセンタイルはその上に乗った派生値です。IQには、その元の目盛りがありません。素点は、集団に対する位置として定義されて初めてIQになる。つまりIQは、構造として相対値しか持たない。だから「美味しい」のように誰でも直接感じ取れる量ではなく、人間が後から発明した「概念」なんです(「美味しい」は誰でもすぐわかりますよね?)。

もっと言えば、IQの測り方自体も、ほとんど(特にパターン認識など)が与えられた情報と選択肢の中で思考するものです。作曲や料理、絵画やアイデア力といったものは評価できません。

率直に言って、<IQ=知能の絶対指標>という大きくなってしまった社会認識に対して、力不足です。

誤解のないように言っておくと、IQが無意味だとは思っていません。傾向を知る道具としては、ちゃんと信用しています。ただ、それ以上のものではない。方位磁針のようなもので、いまどの方角を向いているかはわかるけれど、地形までは描けない。地形は別の道具で、自分の目で見るしかない。道具を疑いながら道具を使うのは矛盾していますが、一つの視点で現象を説明しきれない以上、それでいいと思っています。

そんなイマイチよくわからない(私たちもかなり限定的な指標だと捉えています)IQなるものを、広く思考停止で扱っている。その状態で「IQ上位2%だから〇〇」と説明されても、

「何か言ってるようで、何も言ってなくない?」

と思ってしまいます。

統計的に測れる範囲では正の相関があるんだと思います。でも人間は、「統計的に正の状態です」と言われるよりも、「あ、これ美味しい」みたいな絶対的な感覚認知の方が、かなり支配的です。

余談

正論と感情にも、似たことが言えます。どんなに的を射た正論だろうと、相手の感情を気持ちよくさせなければ、相手は簡単には正論を飲み込めません。まず最初に、相手を気持ちよくさせる必要がある。逆に、最初に気持ちよくさせてしまえば、不正確な内容でも受け入れてしまいがちです。人間は思った以上に感情で成り立っているんです。ちなみにこれは、人生に深みをもたらす、愛すべき素晴らしい特性だと思います。

話を戻すと、この「高IQ」という概念を、与えられたまま受け売りで使っている。さらに、ギフテッドや2Eを語る際に、一種のラベリングとして使っている。

もっと言えば、

「高IQだから自分はすごいんだ」

「高IQで生きづらさを感じる」

という論調は、わかっているようで、自分自身では現象を理解していないと思います。与えられたラベリングを使って、わかりやすく自分を納得させ、保とうとしているのかもしれません。

高IQというのは状態でしかなくて、「それを持って何をしたいのか?」がなく、高IQであることそれ自体に満足(根底の解像度が荒いまま扱っている)してしまっている。だから、高IQであることそのものが無形資産のように扱われはじめて、高IQを目指したり、高IQであることがアイデンティティそのものにすり替わったりしてしまっています。

例えば、とある欧州の高級ブランドは、最初は地元のクラフトマンシップから始まったものの、途中でブランドネーム自体に価値がつきはじめ、グローバル展開を経た現在の実情は、クラフトマンシップではなく、工場の生産ライン管理による流通量を軸にしたブランディングになっています。しかし人々はブランドを盲目的に捉え、解像度を上げようとはしません。

ブランドを持っている、自分。

高IQである、自分。

この語感は、近似していると思います。

両者とも実像に対して低解像度で、自身の価値判断基準を見出せていない。これが悪いことだとは思いません。社会の価値判断基準を取り入れている、とも見られます。

ただ私たちは、自分自身が「状態」であることに満足できず、空虚さと退屈感、脱力感を感じています。だから、状態という統計的な正の相関から自分たちで脱却して、「これ面白い!」とみんながわかり、互いの人生を彩れるものを創造したいと考えています。

π円で入会にあたってIQの値を必須にしていないのは、そのためです。知的かどうかは、面談の過程で自然にわかります。そして我々は「知的かどうか」それ単体に価値を感じていません。その知性で、どんな面白いアイデアを考えているのか? どんな視点で物事を捉えて、それをどんな面白いものに作り上げるのか? それを測るのではなく、知って、一緒に面白くしてみたいと思っています。私たちはあなたを測ったりしません。ただ純粋に、味覚や嗅覚のように、本能的に知覚で感じ取ります。


と、ここまで書いたところで、大きなパラドックスがあります。

「え? じゃあなんで、コミュニティの触れ込みが<ギフテッド2E当事者のコミュニティ>なの?」

という(笑)

「まず、IQという借り物を使わないと説明できない時点で、社会に対して親和性が低い。」

——ここを読んだ時点でモヤモヤしたなら、鋭いセンスです😎

なんで私たちがギフテッド2Eという触れ込みを使うかというと、めっちゃ言いづらいんですけど、求めている人物のマス層に効果的だからです。ちょっとマーケティング的な視点ですよね。

さっきの正論と感情の話もそうですが、順序の問題です。最初からいきなりピンポイントで人物を探すのはナンセンスで、あたりのある属性を明示するのが効果的です。私たちはギフテッド2Eという概念を、ラベリングとして、統計的に扱います。でも、あなたと向き合うとき、あなたを統計的に捉えようとは思っていません。扱う順序を変えただけで、同じ事象でも、「囚える」か「捉える」かに振る舞いが変わります。

ちなみに、ここまで読み進む過程で、結構認知負荷がかかったんではないでしょうか? 最後はリラックスして考えてください。

まとめると、

「ハイスペックPCがせっかくあるなら、スペックを最大限まで攻めたくない?(笑) どう? なんかやってみたくない?」


最後に

↑ところで、今見返して思いましたが、この論はよくできてるように見えて、ちょっと危ういなぁ〜(笑)

あなたはどう思う??

批判だけだと咀嚼のインセンティブがないのですが……代わりに一緒に楽しく考え、面白いアイデアを形にしませんか?

なんにせよ、面白そうと思って面談に来る後押しになったら幸いです。